自己疎開

またここへ来てしまった、と思ったけれどそんなふうに思う必要なんてどこにもなかった。そうだった、私はここへ毎日来ている。たぶん、本当は、ずうっとここにいる。むしろ私自身がここなのかもしれないくらいに。

満月の泉が見当たらなくて実感が持てないまま、それでも私は余りにも白が広がっているだけのこの場所で言葉を積み上げて、積み上げて、積み上げて、誰にも気づかれることのない築城に耽る。私が目を離した隙にその城は音もなく消えてここだけが残る。私が生きていることを証明するかのように。

 

毎朝、彼に向かって「いってらっしゃい」が上手く言えない。「逝ってらっしゃい」になってしまう気がして口に出していいのかも分からなくなる。代わりに「じゃあね」と言ったら本当にお別れみたいで苦笑されてしまった。気をつけてね、とも言ってみるけれど、戦場に送り出すのになんて無力な言葉だろう。

四季が移ろうその裏で、死期が虚ろになっていく。早かれ遅かれいつか死ぬと知っていながらもそれが今日かもしれないと思っていないのは、思わないようにしているからだろう。昨日見かけたぺちゃりと死んでいた鳥はいつから死んでいたのだろう。

なんとなく「虚ろ」と調べてみたら“中身ががらんどうになっている所。うろ。ほら。また、そういう状態。”と意味が出てきたのだけど、「ほら。また、そういう状態。」の部分に今の私を見抜かれたのかと思ってどきっとした。

 

もうすぐ春が来る。まだ桜の木の下に埋められるわけにはいかない。

だらけ

久々にログインしようとしたらパスワードの入力を間違えすぎてロックされてしまったので一日遅れて更新している。しかしここは気持ちが厚くなった時に来て、その気持ちの膜をそっと剥がして畳んで置いておく場所なので、一日も待っているわけにはいかない。待っている間に、この膜は融解して染み込んでしまうあるいは気化して消えてしまうから。この膜、ブヨブヨとしているから生ものなんだと思う。見たことも触ったこともないけど。

 

それで仕方なくメモ帳に打ち込んでいる。鮮度が保てない感じがするけど仕方ない。仕方ないことばかりな一方で、仕方ないでは済まされないことが多すぎるのもまた仕方のないことなのだろうか。


無職になって1ヶ月が経った。「無職」って「無敵」みたいな字面でかっこいいから好きだ。事実、その二つはそんなに遠くないのかもしれない。私がこの1ヶ月どんなに無敵だったかというと、たくさん眠って美味しいご飯を作って頬張ってンピ!とかウキュ!とか言っていたら毎日が終わっていたほどだ。無敵だ。普通に働いていたら敵ばかりで、ンピ!とかウキュ!とか言えてない。そんな私でも永遠に無敵でいられるわけじゃない。髭のおじさんややわらかな桃色の球体でさえ一瞬なのだから。

掌の上の窓を「求人」の看板しかない景色が流れていく。ガタン……ゴトン……くらいゆっくりとしているのに一つも目に留まらないのは、水に流せなくて見ずに流しているからなんだと思う。「現実はそう上手くいかないな…」とどんなオタクよりもクサい台詞が頭に浮かんだので、じゃあ現実じゃなかったらここからどう上手く転がるのかと考えてみたんだけど何も思いつかなくてビビる。転がるってムズい。どうして良いのか分からなくて、むず痒い。でも転がれないのなら、転がされればいいのかもしれない。しかしながら「ない」だらけだな、まだ朝なのに。


眠たくなってきたから二度寝する。いくら無敵でも、睡魔には勝てないので仕方がない。

予感

「予感」ってタイトルにすべき予感がしたのでそうした。

わたしこんなにも文章書けなかったっけって、言葉選ぶの苦手だったっけってとても思う。ほら、この一文がもうまさしく「苦手」という感じだ。苦手っていうのは下手ってことじゃない。下じゃなくて苦しい。サイゼリヤまちがいさがしよりも簡単なことだ。下ならある意味まだ諦めがついていいのかもしれない。でも諦めるしかないことを思うとそもそも選べていないのだと思うと、苦しい方がまだ選べるだけいいのかもしれない。選んでいるから苦しい気もする。なんでもいいのなら適当にその辺に落ちているのを拾って他人から借りパクしてそれっぽくキレイに並べるだけでいい。でも他人のもので個展開きたくないでしょ。説明もできない、思い入れもない、誰が誰に話しているのかわからない。少なくともそこに私はいない。私の前にも誰もいない。でもあなたの前には私がいるらしい。「それ私じゃないよ」って私が言わなきゃ気づかないだろう。でも言えない。言えはするけど、独り言になってしまう。だって私、そこにいないから。嘘を嘘だと見抜けても、私の言葉を誰かの言葉だと見抜ける人はいないだろう。ここに書いてある言葉も私の言葉じゃないのかもしれない。そう何人が疑ってここまで読んできた?

 

そういえば、思い入れって「思い入れ」だと思ってたけど「思いが入ってる」ってことなんだ、とか、そういうことにいちいち気がつくことも減ってしまった。気づけなくなっていることに気づくのも変だけど。

 

ちなみにここまで書いたこと、「予感」と全然関係ない。

 

浴槽の栓を抜くと、洗い場に水が溢れてくる。噴水みたいに。排水溝が詰まっている上、浴槽の排水口と洗い場の排水口がつながっているから流れ出る水が行き場をなくしてこっちにくる。その度にああ、昨日も排水溝詰まってたなって思う。それがもう15回くらい繰り返されてる。私が何もしないでほったらかすものだから、もう15回くらい繰り返してる。私の問題なのにぼーっと眺め続けている。なんだか今日はやけに水が引くのが遅い気がした。遅すぎて、薄いプールが5分間くらい存在している。このプールは冷たいし汚いので私は入りたくないから、椅子の孤島に座って足を壁に預けて入らないように触れないようにする。排水溝の蓋はかなり最初の方から漂流していたので、拳よりも二周りくらい小さなサイズの髪の毛の塊が排水溝に詰まっているのを容易に確認できた。でも私はそれよりも、浴槽にあとどれくらい水が残っているのかが気になる。それが流れきれば一先ずは落着するから。でも足を壁に預けているせいで動きが制限されてしまい、あと少しだけ遠くて覗き込めないのだった。そうこうしているうちに、だんだんと足は疲れて滑り落ちていってしまう。しかも、どうせちょっと冷たいだけじゃんとかかなりどうでもよくなってきて結局負けた。浸かってしまった。今までの抵抗が無駄になる瞬間。汚くて薄いプールに浸かりながら、「なんか生物って生きようとするものだから、自殺する人ってわざわざ死へ向かって突っ走っていくわけでかなり勇気あるなとか感じていたけれど、実際全然そんなことないのかもしれないな」とか考えた。もう死ぬしかないんだろうな。逃げるより死ぬ方が簡単じゃん、とか考えるより先に死んでるんだろうな。生きている世界がすでに地獄なら「死んだあとの地獄の方が楽説」に賭けてみたい、みたいなのあるかもしれない。とか取り留めもないことを考え続けるも、水はまだ引かない。毎日もそんな感じなのだ。つまらないのに。

 

浴槽の水がいつ流れきるのかわからないのなら、さっさと髪の毛の塊を取り除いてしまえばいい。そもそもいつかは取り除かないといけない。今取り除けば16回目を免れられる。なんとなく、なんとなく毎日もそうなるような気がして、今取り除かなきゃいけない気がして、汚ね〜〜とか言いながら取り除いたらあっという間にプールは消えた。こんなに簡単で、あっけないのだなと思った。最後まで浴槽の水の残量は見ていないけれどたぶんそれなりにあって、でもすぐ流れてしまった。取り除いて何か後悔しただろうか。自明だ。後悔するわけがない。だって、いつまでもそこに溜めておく理由がない。愛着もない。なんでもっと早く捨てなかったのだろうとすら思うけれど、まだ間に合ってよかったなとも思う。毎日も、今ならまだ間に合うのだろうか。

 

取り除かれて浴室の端の方に置かれた髪の毛の塊を見て「捨てなきゃな」と思いながらとりあえず浴室を出た。今から経血で汚れたズボンを洗わなければいけない。お風呂の洗剤で落ちるなんてよく聞くけど、一回もちゃんと落ちたことがない。これが気分なら問題ないけど。3日後とかに洗うせいかな、まあ今回もどうせ落ちないだろう、なんて思いながら浴室にズボンを持ち込んで洗剤をつけた。落ちた。いつも間に合っていなかっただけだったらしい。 

 

ズボンを洗い終えて浴室を出るとき、私は髪の毛の塊を捨てることを忘れなかった。

これで、この毎日も捨てられるようなそんな気がする。

 

書き終えて気づく。「予感」って、そういう意味なのかもしれない。

冬の所為にすんな

やらなければならないことはこんなにも沢山あって、それは全部分かっているんだけど寒すぎてバイクのエンジンがかからない。かけてるのにかからない。しかもなんか五月蝿い。わたしは暴走族じゃないから五月蝿くしたいはずがないし、なんなら五月蝿くなんてしたくないのに、五月蝿い。まだ1月なんだけど。(あぁ寒い。)

いつまで経ってもいつまで待ってもエンジンはかからなくて、かかるのは迷惑ばかりだ。空吹かしてるわけじゃないが、空回っている。反抗なんてしていないのに、そう見えるらしい。だからわたしは暴走族でもなければ不良でもないんだってば!何者でもないんだってば!!

そう、何者でもない。だって何もしてないから。何者かになろうとして、わたしが作ったのは"無"だった。無いものを作り続けている、とどのつまりは何もしてないのである。有りそうで、無い。これが「今までありそうでなかった」的なことなら世紀の大発明で最高だったんだけど、ここで言ってるのは「見掛け倒しで中身が無い」ってことなので最悪でしかない。

 

さっき外で寒すぎてエンジンのかからないバイクがずっと唸っててうるさくて、ああ人生そんなことばっかりだなと思った。なかなか出せない"やる気"とか、誰のことも傷つけたくないのに気付くと傷つけていたり、迷惑かけたくないのに気付いた時にはもう遅かったりするとか。

電気つけたまま寝落ちてしまってたので電気消していざちゃんと眠ろうと目を閉じたら例のバイクが唸りだして、それを横目にわたしの脳のエンジンはかかってしまって全然眠れなくなったからこれ書いてる。脳は加速しながら小さくなってってて、そろそろただの点になってもう消える。数学に出てくるような点Pみたいにはなれない人生("脳生"かな)。点になって消えたけど、ビュンビュンと加速し続けてた時に発生した空気の渦だけは残った。でも結局空気だから、何も無いに等しいんだけど。それは後世に残る空っぽな歴史のことで、わたしのツイート群みたいなもんだよ。

9まで行って、さようなら

私が生まれた責任は私には無いのに、私が生きる責任は私がとるしかないという理不尽。何もかも自分で選びとっていかなければ、そうして逝かなければ。「"自分の"人生」とかいうけどそんなの知るか。望んでもいないこの世に送り出されて"自分の"なんて無いでしょう。デッドエンドしかないゲームに何の同意もなく強制参加させられてポジティブでいられる奴なんているのか。勝っても負けても死ぬ。早かれ遅かれみんな死ぬ。まあ「平均寿命」という名目で余命を宣告されているだけやさしいのかもしれない。

「人生は一度きり」とか言って必死で生き急いでいたキラキラした自分はいつの間にか逝き急ぐ人間になってしまっていた。星は燃えているからキラキラしていてでもあの光はずっと昔のものらしいのでやっぱりキラキラと燃えていた私もずっと昔の残像に過ぎないのだろう。そう思うと生き急いでいたあの時にはもうすでに燃え尽きてしまっていたんだと思う。燃え尽きたはずなのに未だ消滅できていないのもまた理不尽。消滅できずに脳も心も肉体もあるからこんな文章を打っている。打てている。皮肉だ。

昔「死にたい」と言う人がいてなんで?と問うたら「生きる意味がないから」と言われたので「二十数年しか生きてないのに生きる意味がわかるわけないだろ」なんて言葉を返していたのが懐かしい。今はもう「生まれちゃったから仕方がないね」としか思えない。生まれちゃったのは仕方がない。だからといって苦行を強いられるのは仕方がないことだろうか?人生、楽もあれば苦もあるらしいが楽があるから苦もある。どちらかが無ければどちらも無い。何も無いのが一番幸せだ。何も無ければこんなことに悩むことも無かったのだから。確かに幸せも無いけれど不幸も無いので当然だ。幸せを知る頭も心も何にも無いのだから幸せを知らないことが不幸だなんて気付きやしない。

これからも「生まれたくなかった」とぼんやりとどこかで思い続けるんだろう。私が死にたいより消えたいと思うのはそういうことなんだろう。何も無かったことにしたい。

20170619

私に向かってテレビの中の人が「おはようございます!」って挨拶してくるけど今からおやすみなさい、ですが。おもしろさに明確な理由なんて要るのだろうか。頭でっかちだと指摘されまくり、感情は乏しくほぼ理屈で動いているという自覚もあるので、ただ感覚として「おもしろい」と思っているこの感じは大切なんだと考えていたのにそれはダメなのか。もうとっくに終わったことなんだけどふと思い出してしまう。終わらせたつもりなだけでやっぱり終わっていないことだらけ。どんどん山積みになっていってるのに、いつになっても一番下の本の存在を忘れることはなくて、また思い出して一番上に来る。下から上に、上から下に、上に、下に、ただ順番が入れ替わり循環し続けているだけでその本を読みきって手放すことはない。たぶん一生手放せないんだろう。何冊も背負って生きていくしかない。たとえ背負わされているのだとしても、それがノンフィクションである限り不条理にも私には背負う義務があるのだろう。まあ背負わせているのは、背負うことを義務付けているのは、紛れも無く自分自身なんだけどすぐ忘れてしまうからプンプンしてしまうなあ。これらの本燃やしていいかな??間違ってはないんだけど「そうじゃないじゃん?」って思うことが沢山あるね、「宝くじは買わなきゃ当たらない」みたいなそういう感じのことが沢山。間違ってはないんだけどね。それでいいのか?ってね。いいんだろうけど。私はよくないけど。もちもちを食べてにこにこしたい夜明け。

20170614

ハッピ〜バ〜スデ〜 トゥ〜 ミ〜〜 年齢がひとり歩きして止まらない。いつまで経っても時間の速度にちっとも追いつけやしない。はやく、はやく、時間なんて追い越してやる。それくらいの心意気で生きていかなきゃなぁと思うのです。そうじゃないと知らない間に、死んだことにも気づかぬままに死んでしまうきっと。生き活きとした死を迎えるためには、死んでいるも同然の生活から抜け出すしかない。理想も現実も追い越してやる。光よりも速く、光よりも眩しく。光を超えてやる。