9まで行って、さようなら

私が生まれた責任は私には無いのに、私が生きる責任は私がとるしかないという理不尽。何もかも自分で選びとっていかなければ、そうして逝かなければ。「"自分の"人生」とかいうけどそんなの知るか。望んでもいないこの世に送り出されて"自分の"なんて無いでしょう。デッドエンドしかないゲームに何の同意もなく強制参加させられてポジティブでいられる奴なんているのか。勝っても負けても死ぬ。早かれ遅かれみんな死ぬ。まあ「平均寿命」という名目で余命を宣告されているだけやさしいのかもしれない。

「人生は一度きり」とか言って必死で生き急いでいたキラキラした自分はいつの間にか逝き急ぐ人間になってしまっていた。星は燃えているからキラキラしていてでもあの光はずっと昔のものらしいのでやっぱりキラキラと燃えていた私もずっと昔の残像に過ぎないのだろう。そう思うと生き急いでいたあの時にはもうすでに燃え尽きてしまっていたんだと思う。燃え尽きたはずなのに未だ消滅できていないのもまた理不尽。消滅できずに脳も心も肉体もあるからこんな文章を打っている。打てている。皮肉だ。

昔「死にたい」と言う人がいてなんで?と問うたら「生きる意味がないから」と言われたので「二十数年しか生きてないのに生きる意味がわかるわけないだろ」なんて言葉を返していたのが懐かしい。今はもう「生まれちゃったから仕方がないね」としか思えない。生まれちゃったのは仕方がない。だからといって苦行を強いられるのは仕方がないことだろうか?人生、楽もあれば苦もあるらしいが楽があるから苦もある。どちらかが無ければどちらも無い。何も無いのが一番幸せだ。何も無ければこんなことに悩むことも無かったのだから。確かに幸せも無いけれど不幸も無いので当然だ。幸せを知る頭も心も何にも無いのだから幸せを知らないことが不幸だなんて気付きやしない。

これからも「生まれたくなかった」とぼんやりとどこかで思い続けるんだろう。私が死にたいより消えたいと思うのはそういうことなんだろう。何も無かったことにしたい。